好きなものその1「リズと青い鳥」

記念すべき第1回は何を記事にしようかと、つい仕事中も考えていたが、この間観に行った映画にしようと決めた。

 

リズと青い鳥

 

といっても、最近の映画ではなく4年も前の映画である。

 

しかも、京都アニメーション制作の人気作なので散々書き尽くされている気はするのだけども、語りたい欲が尽きないので本作に決めた。

 

それでは簡単なあらすじから。

 

同じ高校の吹奏楽部のメンバーである、鎧塚みぞれと傘木望美は、それぞれオーボエとフルートの吹き手として部内屈指の実力者である。同じ中学の吹奏楽部メンバーでもあった2人は、それぞれの想いに濃淡こそあれど、お互いを大切な友人と思っていた。そんな中、高校生活最後のコンクールで演奏する自由曲が「リズと青い鳥」に決まる。オーボエとフルートの掛け合いが中心となる曲で、2人はソロ奏者として何度も練習するが、どこか上手くかみ合うことがなく…

 

鎧塚みぞれ:主人公の1人。オーボエ奏者。物静かではあるが、1年生のころからコンクールに出場し続けるほどの実力者。望美が一番大切な友人と思っている。

 

傘木望美:主人公の1人。フルート奏者。明るく朗らかな性格で多くの部員から慕われている。

 

まあ、ネタバレを避けながら書くとこんな感じ。

 

本作は人気小説・アニメ「響け!ユーフォニアム」から抜粋されたストーリーだ。

 

「リズ~」は「響け」の主人公・黄前久美子が何となく入部した高校の吹奏楽部での紆余曲折の1年を経て2年生に進級した後の話で、結末の大筋こそ同じなのだが、小説と映画で展開がだいぶ異なる。小説版では久美子も当然ながら頻繁に出てくるのだが、意図的と言っていいほどに本作では出番が大幅削減されている。

そのあたりの説明は本作品の仕掛けや特徴の説明から進めていきたいと思う。

 

むろん、ネタバレも含むため、引き返したい方は各自の判断でお願いしたい。

 

特徴1:「疑似的鳥かご」

高校3年生と聞いて貴公は何を思い浮かべるだろう。まさしく青春の青々とした姿を思い浮かべるかもしれないが、大学受験をはじめ、人生の分岐路に強制的に立たされる時期でもある。何者にでもなれると思っていた子どもが、「自分は何者にでもなれるわけではない」「でも、何かしら分相応な姿を目指さなければならない」という、ビターな現実に直面させられるタイミングでもある。そういう意味で、学校は鳥かごのようなものといえるし、本作は意図的にそう見えるような作りをしている。

 

これは本作を語るうえで一番重要なところだといえるが、冒頭のシーンでみぞれと望美が登校してから、ラストシーンまでの1時間以上、一度として校外に彼女らが出ていくことはない。それだけ長い時間学校にいるとするならば(実際は学校に暮らしているわけではないから帰宅しているわけだけれども)、学校にいること自体に意味があると考えないほうが不自然だし、それこそ学校を出ていく瞬間にも意味がないとおかしい。このあたり、視聴した誰もが意味を感じ取れるような設計になっているので流石の構成である。

 

特徴2:「絵本世界とのコントラスト」

学校の中だけを描写し続けるとするならば、それはあまりに挑戦的な表現だ。絵的な広がりは小さいし、単調の誹りをまぬかれないかもしれない。が、本作はそういう作品ではない。楽曲「リズと青い鳥」は架空の物語をベースに作られた作品という設定だ。本作の肝となる、第3楽章は作品のクライマックスといえるシーンを描いたもので、ここの掛け合いがうまくいかない、完成させるにはどうすれば、というのが本作の主題だ。

 

その過程において、物語の広がりを見せるのが絵本世界の描写。某アメリカのアニメーション会社や、三鷹方面に美術館がある会社のイメージに若干引っ張られているようなキャラクターが出てくる。正直、初見で面食らう人もいるかもしれない。筆者は嫌いじゃないとは思ったが、いろいろな意味で京都アニメーションは攻めにいったなとは感じた。

 

その絵本世界の中身はこんな感じ。

 

一人で過ごしていた少女リズのもと、青髪の少女が突然現れた。2人はとても仲良く過ごすが、青髪の少女の正体が青い鳥だった。そのため、彼女はいずれリズのもとから旅立たなければならないことが分かって…という内容。

 

みぞれは、望美に対する想いが強い故に、青髪の少女(青い鳥)を手放せない自分と重ね合わせてしまう。何となく両者の関係が絵本世界と重なると感じているのは望美も同じである。が、実のところ今の立場はどうなっているのかは物語の終盤にかけて明らかになる。

 

特徴3:「凡才と天才」

核心的な部分のネタバレになるので、これ以降は未見かつ気にされる方は視聴後に読んでほしい。

 

本作は女版アマデウスと呼ぶ人が言うくらい、才能がある人と無い人の差を描いている。先程の立場の話に戻るが、みぞれは音大進学を進められる程の実力者であり、望美はそこまでの才能は無い人と、明確に描かれている。皮肉なことに、フルート愛を全面的に押し出して隠さない望美に才能は恵まれず、自分でも続ける理由が分からないまま淡々とオーボエに打ち込んできたみぞれには才能があった。これは残酷なことこの上ない。

 

たが、世間一般の大多数はみぞれではなく、望美側の人たちであり、それなりの情熱や努力を捧げたとて結果が伴わない、その才能に恵まれていないということは多々ある。世の高校球児の大半は選手として甲子園に足を踏み入れることはないし、プロどころか大学で野球を続けることもない。

 

物語のクライマックスが、圧倒的なみぞれの演奏に誰もが息を呑み、望美に至っては実力の差を思い知り、人知れず涙を流す場面だ。更に追い討ちをかけるように、望美はみぞれとの対峙を迫られ、思いの丈を静かにぶつけ合う。作品を包む緊張感は限界値まで高まる。

 

みぞれは自分の思いの丈(要旨:自分の才能より望美と居られるのが大事)を、望美本人に対してぶつける。みぞれが望美に対して並々ならない想いを抱いているのは誰にでも分かるのだが、望美は敢えてはぐらかしている節があった。そして、望美からみぞれに対する想いは逆方向程の強さがなくアンバランスだ。だからオーボエの才能よりも自分を選ぶような発言を言われても全く理解できない。もしかすると、みぞれにこれまでにない怒りを覚えたかもしれない。ここのシーンは、自分がみぞれ側に近いか、望美側に近いかで感じ方が大きく変わってくるだろう。

 

結論:「物語はハッピーエンドがいい」

 

対峙シーンを経て、2人の関係は一つの終着点を迎える。お互いの腹にある想い全てを出し切り、ある意味で初めて2人は対等な友人としての関係をスタートできた。最後には望美の冒頭の台詞にあった、「物語はハッピーエンドがいい」を連想させるエンディングへ続いていく。それは今までの緊張感からすっかり解放され、視聴後の後味は心地よいものになっていた。

 

この作品は「徹頭徹尾『途中』を描いた作品」である。たぶん、本当の意味で2人のことを描くなら中学時代の出会いから何まで懇切丁寧に描かなければならない。また、結局コンクールで2人の演奏がどうなったかも分からないし、2人の関係が単なる友人の範疇を超えるほど進展したか否かも分からない。それには描写すべき場面が少ないし、2人がそれぞれ越えるべき壁がまだまだあると言うのが筆者の見立てだ。「ハッピーエンド」の定義は視聴者それぞれに委ねられているところではあるが、いずれの形であっても可能性を予感させるつくりになっているのは素晴らしいことだろう。

 

作品の性質上、本作を百合作品として捉える人は少なくない。が、いわゆる「百合」的な描写が苦手な人であっても、あるいは同性愛的なものに理解が及ばない人であっても、十分に寄り添える作りになっているし、全般的な評価も高い。筆者としては、友人関係に対するもやもやを感じている人(感じたことがある人)、何かに熱心に打ち込みたい人(打ち込んだことがある人)へお薦めしたい作品だ。パッケージやアニメ映画から受けるバイアスは一切排除し、純粋に作品の静謐さと純粋さを感じ取ってほしい。